精神科クリニックの空間デザイン
―現代都市における最適な診療環境―
茅野分 藤井千代 村上雅昭 水野雅文
1.はじめに
現代都市、特に東京の発展は著しい。 21世紀を迎えても人口は増加の一途で、1300 万人を超そうとしている。ニューヨークやロンドンをはるかに引き離し、世界一の巨大都市となった。東京駅から東京湾にかけて高層ビルが立ち並び、多くの人が働いている。都内はもとより関東地方を通勤圏とし、東京都市圏の昼間人口は3500 万人を超える。
しかし、都市環境は精神疾患の発症・増悪に影響を及ぼす 9)。人間の遺伝子と相互作用を生じ、統合失調症の一因になるとも言われている 5)。都市からは緑が失われ、無数のビルが立ち並ぶ。ビルには深夜まで電気がつき、コンピューター作業が続く。仕事は業績で厳しく評価され、不良が続くとリストラされることもある。雇用は派遣が増加し、職員が頻繁に入れ替る。外国人労働者の割合も増えている。昨今の経済不況から更に著しい。そして格差社会を生じる。
このような環境から人々は眠れなくなり、出勤できなくなる。症状は軽症でも職務に支障を来たし、中等症になると休職を余儀なくされる。現代都市には昔や田舎のような寛容さがない。些細なミスで過大な責任を追及される。都市
がストレス脆弱性を高め、レジリアンスを妨げていると言っても過言ではない4)。このような現代都市において最適な診療環境を提供するためにはどのようなことに留意すべきであろうか。
現代都市の精神科臨床サービスの一つ「統合型地域精神科治療プログラムOptimal Treatment Project, OTP 」7)は、地域で展開する精神医療・保健福祉サービスの必要条件として「4つのA」を提唱している。1. Accessibility(利便性) 、2. Acceptability(受容性) 、3. Accountability(説明責任性)4.Adaptability(適応性) 。すなわち、精神に変調を生じたらスティグマを感じることなく、すぐ受診できる。診療はエビデンスに基づき、各スタッフが病態の変化へ柔軟に対応できるということである。本稿はこのうち利便性と受容性の観点から最適な診療環境について考察したい。
2.最適な診療環境とは
最適な診療環境とはどのようなものだろうか。それはそこにいるだけで心が安らぎ、不安や抑鬱が軽減するような環境であろう。街の雑踏や喧騒から離れ、静かにゆっくりと過せる空間である。寂しい時や辛い時にはそっと寄り添ってくれる人がいて、こころ安らぐ場所である。精神療法はこれを「抱え環境」と呼ぶ2)。子供が母親に抱かれているような、無条件の安心・信頼を覚えることのできる環境である。個人の五感へ働きかけ、自然治癒力を高める空間である。海外では”Optimal healing environment, OHE”6)をはじめ、多くのエビデンス3)10)が報告されている。それでは具体的にどのような要素があるか、以下に紹介する。
1)立地・外観
立地は通院に便利な場所が望ましい。定期的に通院するのが億劫になってはアドヒアランスが保てない。抑うつ状態が強まると受療行動も低下する。スティグマを軽減するため、街の環境も考慮したい。繁華街であっても、治安の悪
い場所は避ける。若い女性でも夜間に安心して通える場所が良い。しかし人目についてはよくない。残念ながら精神科の受診に抵抗ある人はまだ多い。近所や会社の人に会うことなく受診したい。
ビルは新しい方が良いけれど、リフォームされて清潔ならばよい。他のテナントの構成にも注意したい。繁華街は賭博・風俗店等も少なくない。そのビルへ入ることに後ろめたさを感じさせないよう配慮したい。 最近は高層オフィス
ビルの低層階にクリニックが入るようになっている。内科や婦人科、薬局などが集合している医療モールならば診療にも心強い。ビルにコンビニやカフェ・レストランなどが入っていれば申し分ない。
2)内装・家具
内装は「癒しの空間」を創造するため、色々工夫したい。まず床・壁・天井などを素材・色調から選択する。和洋を問わず、素材は木・布・紙などの天然素材、色調はベージュやアイボリーなどの薄い暖色系が安らぎを得られる。腰
壁を張ると更に落ち着く。その逆がいわゆるオフィス環境である。素材はビニールやプラスチックなどの化学繊維、色調はブルーやグレーの寒色系を用いている。知的作業には向いているが、情感を醸し出すのは難しい。
照明は抑え目が良い。読書をするのではなく、会話をするにはそれほどの明るさは必要ない。表情や顔色が分かる程度の照度を目安とする。日本工業規格(JIS)によると全般照明を 150-300 ルクスと規定している。間接照明・白熱灯にて暖かい雰囲気を演出する。レストランやホテルを参考にするとよい。ただしカルテや書類の記載には明るい照明が必要になる。これにはスポットライトや蛍光灯で対応する。
家具は個人の趣味も反映されるが、木製・ダークブラウンが落ち着く。木製デスクの重厚な質感は信頼感をもたらす。椅子は革張・肘掛・キャスター付きが望ましい。患者が座る椅子は医師と同等以上がよい。自分は尊重されているのだというメッセージを伝えられる。 もちろん標準的なオフィス使用より高価になるが、患者満足度を高めるためには準備したい。デザインはモダンより、レトロの方が安らぐだろう。ノスタルジアを覚える。
絵画や陶磁器なども患者への大事なメッセージとなる。作品の思想を空間へ投影し、治療者の精神療法を補う。クリニックの理念と一致した作品を選ぶ。ただし個人の趣味や思想の偏り過ぎには注意する。
植物は眺めるだけでくつろぎを得られる。季節に応じて変えるとより良い。ビルによっては日当たり悪く、管理できないこともある。この際はレンタルや人工植物という代替がある。 「日本園芸療法士協会」の情報を参考にされたい。
鳥や魚、時には犬や猫を飼っているクリニックもある。植物と一緒に容器や水槽で飼育するテラリウム、アクアリウムという設備もある。アニマル・セラピーになるようだ。ビル環境では鳥や魚までだろうが、生物の飼育はかなりの労力を要する。特定の人物が業務を越え、なかば趣味として行うことになる。動物アレルギーや恐怖症の患者へも配慮を要する。
3)設計・構造
受付のカウンターはやや高めにして、 煩雑な作業が目に触れないようにする。カルテや保険証など書類の処理は裏に別室を設けて行うのが良い。 個人情報の管理には特に注意を要する。最近はレセプトやカルテも電子化され、スペースを取らなくなった。それでもコンピューターやコードの類は目に触れないよう収納したい。
待合は多少、混みあっても窮屈に感じないように工夫する。患者同士が目を合わさなくて済むよう、窓から外を眺められるようにすると良い。窓から良い眺めが得られない場合は、大型モニターで風景や映画などを流すとよい。精神
科クリニックの待合で患者同士が談笑することは少ない。 できれば人知れず受診を済ませたいものである。自助グループ等は治療が進んでから求められる。
待合にお茶やコーヒーを置いているクリニックがある。キャンディーやチョコレートをサービスしているところもある。しかしカフェインは不安・緊張を誘発・増悪する可能性がある。ミネラルウォーター程度が無難と考える。不穏
の著しい患者へすぐに服薬を勧めることもできる。
職員の休憩室は別に設けたい。良い診療・サービスを行うには十分な休憩が必要である。食事や談笑、仮眠などをできるスペースが欲しい。ただし職員の話し声や食事の臭いが待合や診察室に漏れないよう注意したい。職員の私語や
私生活に患者は敏感である。
4)空調、その他
汚れがないことは前提条件である。ゴミやホコリが落ちていないよう清掃はこまめに行う。特にトイレは1日に複数回、清掃することが望ましい。便器や手洗いの周辺が常に清潔に保たれていることは、クリニックの隅々まで目が行
き届いていることを意味している。
雑音がないことも同様である。機械の電子音、職員の会話など必要最低限に抑えたい。心地よい音楽は精神衛生に有益である。待合室や診察室にて会話を妨げない程度のBGMを流すとよい。モーツアルトなどのクラシックや各種の
ヒーリング・ミュージックは誰でも親しみ聞くことができる。「音楽療法学会」の情報を参考にされたい。
臭いにも注意したい。トイレや排水口の臭いは洗浄剤を用いて除去すべきである。 また職員の休憩室から漏れる食事の臭いや診察室に残る医師や患者の体臭にも気をつけたい。連続した換気が望ましい。その後、アロマを漂わせる。
ラベンダーやカモミールが有名だが、最近はリラクゼーションを目的としたブレンド・タイプも販売されている。これらをライトやポット、ディフューザーを用いて待合や診察室へゆっくり流す。 「日本アロマ環境協会」の情報を参考にされたい。
3.おわりに
最適な診療環境とは、そこにいるだけで心が安らぎ、不安や抑鬱が軽減する環境である。無条件の安心・信頼を覚えることのできる空間である。更にそこへ通うごとに、自然治癒力(レジリアンス)が高まることを治療目標とする。
安心できる環境で、自分と周囲の問題を客観的に見直し(モニタリング) 、適切な対処(コーピング)を身に付け、回復(リカバリー)へ至る。
しかし、精神科クリニックやSSRIの急増に伴い、新型うつ病や現代型うつ病と呼ばれる未熟なパーソナリティを背景にした青年期の病態も出現している 1)。この病態は快適な診療環境に助長される可能性もある。通院服薬、休職療養を続け、依存退行・疾病利得を生じることがある。特別扱いや例外・逸脱行為を認めると自己愛性や依存性を高めることになる。これには治療構造および治療目標を改めて直面化し、本人の自助能力が高まるよう働きかける 8)。優しく受容しつつも、時に厳しく指導する柔軟な診療姿勢が求められる。そして、精神科クリニックが患者の心理的な成長を促進する空間になれたらば幸いである。
- 文献
1) 井原裕:激励禁忌神話の終焉.日本評論社,東京,2009.
2) 神田橋條治:精神療法面接のコツ.岩崎学術出版社,東京,1990.
3) Karin Dijkstra, Marcel Pieterse, Ad Pruyn: Physical environmental stimuli that turn healthcare facilities into healing environments through psychologically mediated effects: systematic review. J Adv Nurs., 56: 166-181, 2006.
4)加藤敏、八木剛平編:レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム.金原出版株式会社,東京,2009.
5) Lydia Krabbendam and Jim van Os: Schizophrenia and urbanicity: A major environmental influence – Conditional on genetic risk. Schizophrenia Bulletin, 31; 795-799, 2005.
6) Marc Schweitzer, Laura Gilpin, Susan Frampton: Healing Spaces: Elements of environmental design that make an impact on health. J Altern Complement Med., 10 Suppl 1; S71-83, 2004.
7) 水野雅文、村上雅昭、佐久間啓編:精神科地域ケアの新展開―OTPの理論と実際―.星和書店,東京,2004.
8) 成田善弘:精神療法家の仕事.金剛出版,東京,2003.
9) 日本社会精神医学会編:社会精神医学.医学書院,東京,2009.
10) Ulrich Roger S: Effects of interior design on wellness: theory and recent scientific research. J Health Care Inter Des., 3; 97-109, 1991.