注意欠如・多動症(ADHD: Attention Deficit/Hyperactivity Disorder)は、主に注意力の維持の難しさや多動・衝動性を特徴とする神経発達症のひとつで、子どもだけでなく大人(成人ADHD)にもみられます。近年、脳科学(神経科学)の進展により、ADHDに関わる脳機能や神経伝達物質、遺伝的要因などが徐々に明らかになっています。以下では、ADHDと脳科学の主なトピックを概説します。
1. 脳の構造的特徴
1-1. 前頭前野と前頭皮質(PFC: Prefrontal Cortex)
- 前頭前野の成熟の遅れ
ADHDの人は、前頭前野の発達が遅れる傾向があるという研究報告があります。前頭前野は注意制御、衝動抑制、計画などの実行機能(エグゼクティブ・ファンクション)に深く関わる領域です。発達の遅れや機能低下が、集中力や自己抑制の難しさにつながると考えられています。 - 皮質の厚み
ADHDの人は、前頭皮質や頭頂皮質など、特定の領域の皮質の厚みが典型発達の人より薄いという報告もあります。ただし個人差が大きく、一部の研究では成長とともに徐々に差異が小さくなると示唆されています。
1-2. 基底核
- 報酬系回路の機能不全
ADHDでは、報酬刺激(ご褒美や達成感など)に対する感受性や報酬予測の処理が、典型発達の人とは異なる可能性が指摘されています。報酬系を担う基底核(特に線条体)と前頭前野を結ぶ回路の機能不全が、行動の計画・維持の困難やモチベーションの低下につながると考えられています。
1-3. 小脳
- 運動調整だけでなく認知機能にも関与
小脳は運動機能だけでなく、学習や感情調整など幅広い認知機能にも関与します。ADHDでは、小脳の特定領域の容量や活動に差が見られるという報告があり、注意制御やタイミングの把握の難しさとの関連が研究されています。
2. 脳機能・ネットワーク
2-1. 注意ネットワークの偏り
- デフォルトモードネットワーク(DMN)
脳が「内的思考(ぼんやり考える状態)」にある際に活動が高まる領域の集まりを「デフォルトモードネットワーク」と呼びます。ADHDの人は、課題に取り組むときにDMNの活動が十分に抑制されず、注意が逸れやすくなるという指摘があります。 - フロント・パリエタルネットワーク
注意制御やエグゼクティブ機能に重要な、前頭葉と頭頂葉を結ぶネットワークの活動パターンがADHDでは異なることがあります。このネットワークの機能低下が、集中力の維持や課題切り替えの困難に関与している可能性があります。
2-2. 興奮性・抑制性バランス
- ドーパミンとノルアドレナリン
ADHDの核心的なメカニズムとして、前頭前野~基底核間のドーパミンやノルアドレナリンの濃度や伝達に異常があるという説が広く受け入れられています。刺激薬(メチルフェニデート等)や非刺激薬(アトモキセチン等)は、これらの神経伝達物質のバランスを改善し、症状を緩和すると考えられています。 - 興奮性伝達物質と抑制性伝達物質
ADHDの一部の特性は、脳の神経ネットワーク内での興奮と抑制のバランスが崩れていることにも起因する可能性が指摘されています。特定の領域が過剰に活動し、他の領域が抑制されずに動きすぎてしまう、といった仮説です。
3. 遺伝要因と環境要因
3-1. 遺伝要因
- 多遺伝子要因
ADHDの発症リスクには、多数の遺伝子変異が複雑に関与すると考えられています。また、神経伝達物質に関わる遺伝子(特にドーパミントランスポーターや受容体関連の遺伝子)の多型も一部関連する可能性が研究されています。
3-2. 環境要因
- 周産期のリスク要因
低体重出生、早産、妊娠中の喫煙や飲酒などは、ADHDリスクを高める一因となる可能性があります。また、幼少期の栄養状態や心理社会的ストレスも影響しうると考えられています。
4. 治療と脳科学的アプローチ
4-1. 薬物療法
- 中枢刺激薬(メチルフェニデートやアンフェタミン製剤)
脳内のドーパミンやノルアドレナリンの再取り込みを阻害し、シナプス間での濃度を高める。これにより注意力や集中力が向上し、多動・衝動性が抑えられる。 - 非刺激薬(アトモキセチン、グアンファシン)
主にノルアドレナリンの再取り込みを阻害または調整する。刺激薬と同等の効果が期待でき、依存リスクが比較的低いとされる。
4-2. 神経刺激・ニューロフィードバック
- 経頭蓋磁気刺激(TMS)や経頭蓋直流刺激(tDCS)
特定の脳領域(前頭前野など)に磁気刺激や低電流を与え、回路の活動バランスを改善する試みが研究されています。効果はまだ研究段階ですが、将来的な治療法として期待されています。 - ニューロフィードバック
脳波やfMRIの信号をリアルタイムでフィードバックし、本人が意図的に脳活動をコントロールする訓練をする手法。注意力や衝動抑制の改善が報告されていますが、効果の再現性や持続性についてはさらなる研究が必要です。
4-3. 認知行動療法(CBT)・環境調整
- 実行機能訓練やソーシャルスキルトレーニング
忘れ物を減らすためのメモや視覚的サポート、タイムマネジメントを補助するツールの活用など、実生活に密着した環境調整が欠かせません。 - CBTによる思考・行動パターンの整理
ADHDに伴う自己否定感や不安を軽減し、課題や目標を明確化して取り組む方法を学ぶことが、有効なケースもあります。
5. まとめ
- 前頭前野や基底核、小脳といった脳領域の構造的・機能的な差異が、ADHDの注意力不足や衝動性、多動性などの特性に関連していると考えられています。
- 神経伝達物質(特にドーパミン、ノルアドレナリン)のバランスの偏りが、ADHD症状の中核的な要因とされています。
- 遺伝的要因に加え、周産期の環境要因など多様な因子が複雑に絡み合って発症リスクを高めると想定されています。
- 治療では、薬物療法や認知行動療法をはじめ、環境調整や学習支援、ニューロフィードバックなど、複合的かつ個別性の高いアプローチが重要です。