「諦観(ていかん)」とは「諦めて(あきらめて)観る(みる)」ことです。これは従来の目標を放棄するのではなく、目前の物事を「あるがまま」に受け容れる心理状態を説明しています。特に自分の力のみでは打開できない状況を冷静に受け容れ、いわば「悟り」の境地に至ることを意味します。この言葉は仏教の教えから来ています。前述しました「他力本願」に共通する考え方です。
「あるがまま」とは、物事や状況をありのまま、そのままの状態で受け容れることです。偏見や先入観なく、現実や事実をそのまま受け容れることです。特に、他人や自分の心理状態について用いられることが多いです。仏教・禅に由来する言葉であり、精神医学・森田療法の中核概念です。
「受容」とは、ある物事や状況をそのまま受け容れることを意味します。これは現実や他者の意見、自分自身の感情や状態を否定したり抵抗したりせずに、ありのままに認める態度や行動です。心の平穏や人間関係の改善、自己成長において重要な要素です。これにより人は現実を直視し、前向きに行動を考えることができるようになります。
「悟り」とは、物事の本質を深く理解し、心の平安や解脱に至る状態です。特に仏教においては、煩悩や苦しみから解放され、真実の姿を見抜くことを意味します。悟りは、瞑想や修行、内省を通じて深められるもので、その結果、執着や苦しみから解放され、平静で安定した心の状態に至ります。