
無力妄想
濱田秀伯(精神科医)の記載した無力性の妄想。強力性であるParanoia(詳細後述)に対極して、不安と疑惑を間を揺れ動き、自己を卑下し、ひきこもり傾向となる、軽症の非体系妄想。主題は微小妄想であるが、被害妄想となる時もあります。
10代後半から「自我障害」を呈し、「何かが失われ自分が低下した」という無力性の「自責感」と「未来が閉ざされ生きにくい」という「束縛感」とから始まります。さらに「何しても失敗しそうな」「予期不安」、周囲からの「見捨てられ不安」、「気分変調」「空虚感」「アンヘドニア・快楽消失」「周囲へ迷惑をかけている」と心配する「加害恐怖・妄想」、自分を恥じ責める「微小妄想」等など。前景に立つ症状により、うつ病、神経症、境界例など様々な診断名を転々とされます。

敏感関係妄想
ドイツ精神科医 Kretschmer の記載した「関係妄想」。無力性の不全感と強力性の自尊心とをあわせもつ「敏感性格者」が、これを刺激されるような体験後、内的緊張が高まり生ずる無力性の有意な関係妄想。
「関係妄想」は、周囲の出来事を自分に結びつけること。なにげないことを「タイミングが合うので偶然とは思えない」と考えるなど。
本来は中立的であるが、理由が不明なため、不安や困惑を覚え、「わざとしている」など、自分に不都合な内容に解釈すると「被害妄想」へと発展します。軽症は「邪推」で終始します。

ヘレーナ・レンナー 29歳 女性 敏感関係妄想 Kretschmer, E. (1918)
幼い頃から体が弱いにもかかわらず、知識欲と興味あふれ知能の高い努力家だった。学校では常に首席を占め、功名心が強く、1度でも席次が落ちると残念でたまらなかった。非難をとりわけ感じやすく、すぐに度を失い、長い間それを忘れることができなかった。衣服がわずかでも乱れていると、皆が自分を見るとよく言った。いろいろ技能を身につけ、帳簿係や秘書として独立自活し、職場では高い評価を受けていたが、人生を難しく考え、厳格な倫理観をもち、20歳時に敬愛していた母親を失った後、いっそう疲れやすくなった。
29歳時、8歳年下の男性と一緒に仕事をはじめ、次第に恋愛感情を抱くようになった。しかし結婚して幸福になれる保証はなかったので、彼女はこの考えを嫌悪・抑圧、彼に接近を許さず、自分の性衝動を厳しい恋愛観で抑え込もうとした。彼女は毎日職場で顔を合わせながら、何カ月も何年も全力で自分の気持と闘った。
そのうち彼女は事務所の皆が自分の噂をしていると感じるようになった。「あれは良くない女だ」「目を見れば分かる」などの会話を自分に結び付け、嫌がらせや当てこすりがあると思い込んだ。新聞には暗示めいた記事が載り、警察が人目につかない方法で自白を迫っていると感じた。

Shakespeare, W. 「オセロウ」(1604)
イアーゴウ:閣下、嫉妬にご用心なさまし。嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもてあそびばます・・・貧しくても満足している者は豊かです。本当の金持ちです。しかし限りない富を持っていても、貧乏になりはせぬかと始終、恐れているものは、荒涼たる冬枯れのごとく貧しい。
オセロウ:俺が嫉妬の生活を送ると思うのか。満ち欠ける月の変化を追って、たえず新しい疑いをつのらせると思うのか・・・俺は疑う前にまず見る。疑う場合には証拠をつかむ。証拠があれば、することは一つしかない。直ちに愛を捨てるか、嫉妬を捨てるかだ・・・俺が色黒く伊達男のように優しい言葉のやりとりに慣れないので、あるいは俺の年齢がもう下り坂へ傾いたので、それで心が去ったのか。だまされたのだ、俺は。とすれば、俺の救いはあいつを憎むしかない。
ヴェネチア共和国に仕えるムーアの貴族オセロは、旗手イアーゴウにそそのかされ、嫉妬を炎にかられ、最愛の妻デズデモーナを絞め殺し、自らも剣で命を絶ちました。このような自傷他害の激しい嫉妬妄想を「オセロ症候群」といいます。