内観療法は「内観三項目;お世話いただいたこと、お返しできたこと、ご迷惑おかけしたこと」を生まれてから現在に至るまで関わった重要な人物、母父、兄弟姉妹、恩師・先輩などに対する「自分」を調べることです。心理学的に説明すると、重要他者へ投影された自己を内省する行為となります。
人間は何か問題を生じた時、原因を外部や他者へ向け、なかなか自分の問題と受け容れることができません。内観ではこれを「外観」と呼称します。「お世話したこと、お返ししてもらえたこと、迷惑かけられたこと」という三項目に陥ります。この思考にとらわれていると、他者を恨み、関係は断絶し、自分の気持ちも安らぎません。日常の喧嘩、社会の事件、国家の戦争などは、すべて「外観」に由来していると言っても過言ではないでしょう。
人間が平和で幸福な人生を歩むためには「内観三項目;お世話いただいたこと、お返しできたこと、ご迷惑おかけしたこと」を日常の思考に組み込むことが必要です。そのための入門として、内観研修所へ宿泊し、6泊7日、朝から晩まで自分を徹底的に調べるのです(作業さごう)。
はじめの3日間前後は「外観」や「雑念」にとらわます。これを「三日目の壁」と呼称します。日常生活を送っていた方々が内観研修所に泊まり込むという「非日常」に置かれると仕方ないかもしれません。自分を内省し、葛藤を抑制することの困難な方は、この3日間前後で中断します。ただし「内観」に取り組んだことは評価されるべきで、自我機能が向上し、葛藤への対処方法を身につければ、再チャレンジ可能です。中断したことを落胆せず、自分の抱えている問題に向かい合おうとした勇気を評価しましょう。
4-5日経過すると「内観」は深まり、他者へ感謝し、自己を内省するようになります。「ご迷惑おかけしたこと」は「内観三項目」の最重要・項目と考えられています。これを調べることにより、良い意味で・健康的な「罪悪感」を覚えるようになります。社会生活で実際に犯罪を行なった訳ではなくても、日常生活の些細な行為に「罪」の意識を抱くことは、自らを律するこころを醸成します。精神的な成長をうながすとも言えるでしょう。
さらに「内観」の由来である仏教は「無常感」を唱えています。我欲や我執から解放され、生や死へのとらわれさえ超越した心境が「無常感」です。仏教では「悟り」と言います。この境地はなかなか到達できるものではなく、多くの宗教家は厳しい修行や戒律のもと、生活や人生を切り詰め、ようやく感得します。
「集中内観」で容易に得られる境地ではありませんが、「内観三項目」を調べた後「嘘と盗み」を調べることにより、その手前まで近寄れるかもしれません。「内観三項目」と同じように、生まれてから現在に至るまで、自分の犯した「嘘と盗み」を徹底して調べるのです。「内観」を考案した「故・吉本伊信」は、「内観の真髄は罪悪感と無常感の感得にある」「自分の罪を問い詰めることは、自分の死を取り詰めること(一部改変)」と述べています。これにより「内観」の目指す「転迷開悟(悟り)」に至るのです。