不眠症の精神医学
不眠症(Insomnia Disorder)は、入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒、または眠りの質の低下により、日常生活に支障をきたす睡眠障害です。精神医学の視点では、不眠症はストレス、精神疾患、神経伝達物質の異常、概日リズムの乱れなどが関与する複雑な病態として捉えられています。
1. 不眠症の分類(DSM-5に基づく)
① 一次性不眠症(Primary Insomnia)
- 明確な精神疾患や身体疾患がないにもかかわらず、慢性的な不眠が続く。
- 心理的ストレスや不適応的な睡眠習慣が関与することが多い。
② 二次性不眠症(Secondary Insomnia)
- 精神疾患(うつ病、不安障害、統合失調症など)、身体疾患(慢性疼痛、呼吸器疾患)、薬物の影響などによって引き起こされる。
- アルコールやカフェインの影響も含まれる。
2. 不眠症と関連する精神疾患
① うつ病(Major Depressive Disorder, MDD)
- 不眠はうつ病の主要な症状であり、特に早朝覚醒が特徴的。
- セロトニン、ノルアドレナリン、メラトニンの機能低下が関与。
- 不眠が続くと抑うつ気分が悪化し、うつ病の再発リスクが高まる。
② 不安障害(Anxiety Disorders)
- 入眠困難、中途覚醒が多い。
- 過剰な扁桃体の活動が、不安を増強し、睡眠を妨げる。
- 「明日のことを考えると寝られない」という反すう思考が強い。
③ 統合失調症(Schizophrenia)
- 概日リズムの異常や睡眠の分断がみられる。
- ドーパミン、GABA、グルタミン酸系の異常が関与。
- 幻覚や妄想が夜間に悪化し、睡眠障害が顕著になる。
④ 双極性障害(Bipolar Disorder)
- 躁状態では、過活動により睡眠時間が極端に短くなる。
- 抑うつ状態では、過眠または不眠がみられる。
⑤ PTSD(心的外傷後ストレス障害)
- 悪夢、夜間の覚醒が多い。
- 交感神経の過剰な活性化により、寝つきが悪く、深い睡眠が減少。
⑥ ADHD(注意欠如・多動症)
- 睡眠リズムが不安定になりやすく、夜型の生活が多い。
- ドーパミンとノルアドレナリンの調節異常が関与。
3. 不眠症の神経生理学的メカニズム
① 神経伝達物質の異常
- セロトニン(Serotonin)
- 睡眠と覚醒のバランスを調整。
- セロトニン不足 → 睡眠の質が低下、うつ病との関連性。
- GABA(Gamma-Aminobutyric Acid)
- 主な抑制性神経伝達物質で、神経の興奮を鎮める。
- GABA不足 → 入眠困難・夜間覚醒が増加。
- ノルアドレナリン(Norepinephrine)
- 覚醒レベルを高める。
- 過剰な活動 → 不安、不眠を引き起こす。
- ドーパミン(Dopamine)
- モチベーションと覚醒を維持。
- 過剰な活動 → 寝つきが悪くなる。
- メラトニン(Melatonin)
- 体内時計を調整し、眠気を誘発。
- メラトニン不足 → 概日リズムの乱れによる不眠。
② 視床下部-下垂体-副腎系(HPA軸)の異常
- HPA軸の過剰な活動 → コルチゾール(ストレスホルモン)の分泌増加。
- コルチゾールの過剰分泌が覚醒状態を持続させ、睡眠を妨害。
③ 概日リズム(Circadian Rhythm)の異常
- 視交叉上核(SCN)の機能異常により、睡眠リズムが乱れる。
- 夜型の生活が続くとメラトニン分泌が抑制され、不眠を助長。
4. 不眠症の精神医学的治療
① 認知行動療法(CBT-I)
- 不眠症に対する第一選択治療として推奨される。
- 刺激制御療法(ベッドを眠るためだけに使う)
- 睡眠制限療法(睡眠時間を調整し、睡眠効率を向上)
- 認知再構成(「眠れないとダメだ」という思考を修正)
② 薬物療法
1. 睡眠導入薬
- ベンゾジアゼピン系(BZ系)(例: ゾルピデム、エスゾピクロン)
- GABAを増強し、神経の興奮を抑える。
- 長期使用は耐性や依存のリスクあり。
- メラトニン受容体作動薬(例: ラメルテオン)
- 概日リズムを整える。
- 依存性が少ない。
- オレキシン受容体拮抗薬(例: スボレキサント)
- 覚醒を抑制し、自然な眠気を促す。
2. 精神疾患に関連する不眠
- うつ病の不眠 → SSRI/SNRI、NaSSA(ミルタザピン)
- 不安障害の不眠 → SSRI、ベンゾジアゼピン短期使用
- 双極性障害の不眠 → 気分安定薬(リチウム、バルプロ酸)、非定型抗精神病薬
- PTSDの悪夢 → プラゾシン(ノルアドレナリン受容体拮抗薬)
③ ライフスタイルの調整
- 光のコントロール: 朝日を浴び、夜はブルーライトを避ける。
- 運動: 昼間の適度な運動が睡眠を改善。
- 食事: カフェインやアルコールを控え、トリプトファン(セロトニン前駆体)を含む食品を摂取。
④ 補助療法
- マインドフルネス: 不安を和らげ、リラックスを促進。
- TMS(経頭蓋磁気刺激): 前頭前野を刺激し、不眠とうつの改善に有望。
5. 不眠症の予防とセルフケア
- 規則正しい生活(毎日同じ時間に寝る・起きる)
- カフェイン・アルコールを控える
- 寝る前のスクリーンタイムを減らす
- リラックスする習慣をつける(読書、温かい飲み物)
- 昼寝をしすぎない(短時間にとどめる)
まとめ
不眠症は、精神疾患、神経伝達物質の異常、HPA軸の過剰反応、概日リズムの乱れなどが関与する複雑な病態です。治療には、認知行動療法(CBT-I)が第一選択とされ、必要に応じて薬物療法、ライフスタイル調整、補助療法が併用されます。
睡眠は脳と心の健康の基盤であり、適切な介入によって改善が可能です。