
「べてるの家」は、1984年に設立された北海道浦河町にある、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。べてるの家は、有限会社福祉 ショップべてる、社会福祉法人浦河べてるの家、NPO法人セルフサポートセンター浦河などの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。
べてるとは、そこで暮らす当事者達にとっては、1. 生活共同体、2. 働く場としての共同体、3. ケアの共同体という3つの性格を有しており、100名以上のメンバーが地域で暮らしています。多くのメンバーは、グループホームや共同住居で暮らしていますが、1人暮らしや家族と住んでいる人もいます。

「それで順調!」
べてるは、いつも問題だらけ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。組織の運営や商売につきものの、人間関係のあつれきも日常的に起きる。一日、生きるだけでも、排泄物のように問題や苦労が発生する。
しかし、非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出して、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生きぬくことを選択したほうがじつは生きやすい。べてる が学んできたのはこのことである。
こうして私たちは、「誰もが、自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。
「それで順調!」と。

「苦労」が多いから「商売」を
いままで、会社で、家庭で、教育の場で失敗に失敗を重ねて、病気になるまで自分を追いつめた経験をした人たちが、改めて「商売」に挑戦する。いわば鉛の船を海に浮かべるに等しいプロジェクトが、過疎の町の片隅で始まった。
それは「能率によって人を切り捨てない」ことと、「経済的な利益」を生み出すと言う相反するテーマへの挑戦でもあった。さらには、「努力の末に病気や障害を『克服』し『健常者』の社会に復帰する」と言う「物語」に切り捨てられてきた人たちが、無謀にも新しい価値観を持ってその現実の中に飛び込むことを意味した。
1983年にはじまった日高昆布の下請け、1988年から産地直送事業、そして1993年の有限会社設立。べてるは「商売」にこだわってきた。「なぜ商売なのか」とよく聞かれる。それは「苦労が多い」からである。
「生きる苦労」という、きわめて人間的な、あたりまえの営みをとりもどすため、べてるはこの地で「商売」をはじめた。

「悩む力」をとりもどす
多くの当事者は病院を生活の場とし、苦痛を除かれ、少しの不安も不快に感じ、薬を欲し、悩みそれ自体を消し去ることを目的とするかのような世界で長年暮らしてきた。そのなかでかれらは、「不安や悩みと出会いながら生きる」という人間的な営みの豊かさと可能性を見失う。
しかし、べてる は「悩む力」を生きながらとりもどす場だ。
一人ひとりが、あるがままに、「病気の御旗」を振りながら、地域のかかえる苦労という現実に「商売」をとおして降りていきたい。

「弱さ」の力
弱さとは、強さが弱体化したものではない。
弱さとは、強さに向かうための一つのプロセスでもない。
弱さとしての「意味」があり「価値」がある。
このようにべてるの家には独特の「弱さの文化」がある。「強いこと」や「正しいこと」に支配された価値のなかで「人間とは弱いものなのだ」という事実に向き合い、そのなかで「弱さ」のもつ「可能性」や「底力」を用いた「生き方」を選択する。
そんな暮らしの「文化」を育て上げてきたのだと思う。

「三度の飯よりミーティング」
「話し合う」ということは、大切な「自己表現」の場であると同時に「支え合い」の場でもある。
べてるのメンバーが精神障害という病気をとおして経験してきた様々な危機は、「表現することの危機」でもあった。その意味で、話し合いの質が一人ひとりの生活の質に影響を与える。そしてその影響は、べてるの家ばかりでなく、べてるに連なるさまざまな人のつながりや、その場、全体のコミュニケーションのあり方にも影響を与えるということを経験的に学んできた。
だから「三度の飯よりミーティング」という理念に象徴されるように「ミーティング」はべてるの家の生命線であると同時に、一人ひとりにとっての「暮らしの生命線」でもある。

「勝手に治すな自分の病気」
べてるのメンバーは誰も、「病院にかかったおかげで治った」とか「先生のおかげで治った」などとはお世辞でも言わない。しかも、「先生のおかげで治った」などという治り方は「もっともよくない治り方」だとみんなわかっている。
薬は、症状の緩和と予防には効果があるが、いかに生きていくかというその人固有の人生課題の解決には当然のごとく無力である。人につながり、人に揉まれ、出会いのなかではじめて、その人らしい味のある本当の回復がはじまる。
だからべてるでは、誰からともなく「勝手に治すなよ」とも言われる。ひとりぼっちで勝手に治ると、病気のときよりも始末が悪いからである。こんなことが、ことわざのようにメンバーからメンバーへと伝えられている。

当事者研究 − 「自分自身で、ともに」
私たちが「研究」と言っているものは、「内面を見つめなおす」とか「反省する」とは違うものである。自分を見つめなおす、というのは従来のカウンセリングなどの場でもおこなわれてきたことであり、非常にプライベートな作業だ。とくに、メンバーは自分を見つめなおすということをこれまでさんざんやってきた人たちである。
べてるの当事者研究は、共同研究のスタイルをとっている。一人の研究がもう一人の研究を呼び寄せ、融合しあいながら新しい生き方を創造していく。無意味にしか思えなかった失敗だらけの忌まわしい過去が、「当事者研究」という衣をまとった瞬間、新しい人間の可能性に向かって突然、意味を持ちはじめるのである。
それは「自分であろう」とする瞬間であり、「人のつながり」に生きようとする「始まりの時」ともいえるのである。