映画『コーダ あいのうた(CODA: Child of Deaf Adults)』(2021年/シアン・ヘダー監督)は、「ろう者の家族に生まれた唯一の聴者の娘=Ruby」の葛藤と成長を描いた感動作です。病跡学(パトグラフィー)的にこの映画を捉えると、アイデンティティの二重拘束、家族内ロール固定、自己犠牲と解放、世代間トラウマの暗黙的継承といったテーマが浮かび上がります。
◾️Ruby(主人公)の病跡学的分析
項目 | 内容 | 精神病理的視点 |
---|---|---|
家族内での通訳役(CODA) | 親と社会をつなぐ「橋」としての役割 | 親役割の逆転(Parentification)。アダルトチルドレン傾向 |
自分の夢と家族の期待の板挟み | 音楽学校に進みたいが、家族が自分を必要としている | 自我同一性の拡散/自己否定/自己犠牲的役割形成 |
聴者としての孤独感 | 家族と“聞こえない世界”の間に立ち続ける孤立 | **境界性パーソナリティの起源的体験(共感の断絶)**にも類似 |
感情を声で表現することへの恐れと渇望 | 歌=自己表現の手段 | 感情抑制からの解放=表現療法的カタルシス |
◾️家族全体の病跡学的構造
◆家族システムとしての「ろう者の文化」
- Rubyの家族は、手話での濃密な情緒的交流をもつ一方、外界との断絶・疎外感を内包しています。
- 聴者であるRubyが**「異物」であり「窓口」でもあるという役割を背負っており、これは発達早期の役割固定による機能不全家族構造**に該当します。
◆親の依存と無意識の圧力
- 両親はRubyを愛しながらも、自立を阻む無意識の「引き戻し」をしてしまう。これは共依存関係の初期形態とも解釈可能。
- 兄も同様に「聴覚障害者同士で世界を作りたい」と願うが、Rubyの存在は常に“他者”を連れてくるトリガーとなる。
◾️病跡学的キーワードで読み解く『CODA』
キーワード | 映画での表現 | 解釈 |
---|---|---|
CODA(聴者の子) | 家族の通訳、文化の橋渡し役 | トラウマ的役割同一化と過剰適応 |
音楽/歌 | Rubyが自分自身を取り戻す象徴 | 感情解放=サウンドセラピー的体験 |
自立と罪悪感 | 音楽学校に進むことへのためらい | 分離不安と親密性への葛藤 |
世代間の断絶と継承 | 親の経験は「音のない世界」だが、Rubyは「音のある世界」に生きる | アイデンティティの二重性と継承の困難さ |
◾️病跡学的類型:Rubyの精神構造
Rubyの内面構造は、以下のような精神的力動に分類できます:
層 | 内容 | 類型 |
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表層 | 明るく優しい/献身的 | 過剰適応(Over-adaptation) |
中間層 | 不安/怒り/引き裂かれる想い | 境界性葛藤(Ambivalent Attachment) |
深層 | 存在の承認欲求/音楽による表現欲 | 自己実現への希求(Maslow的動機) |
◾️まとめ:病跡学的メッセージ
「声をもたない者の世界で、“声をもつ者”がどう存在するか」
というテーマは、多文化アイデンティティ障害・家族病理・表現を通じた回復という臨床心理学的視点と響き合います。
映画『CODA』は、
- 機能不全家庭における役割固定からの脱出
- 声=感情表現=自己存在の確立
- “見捨てること”が“つながりを壊すこと”ではないと知るプロセス
というナラティヴ・セラピー的な治癒の物語とも言えるでしょう。
