『愛を乞うひと』(1998年、監督:平山秀幸、原作:下田治美)の病跡学的分析(pathography)は、母子関係の病理、愛着障害、そして世代間連鎖の視点から極めて重層的に行うことができます。
🧠 病跡学的テーマの中核
1. 母親・累子の病理:代理ミュンヒハウゼン症候群+自己愛性パーソナリティ障害
- 娘に病気を仕立て上げたり虐待したりする様子は、**代理ミュンヒハウゼン症候群(MBPS)**の典型例。
- 自己の空虚感や承認欲求を娘への支配や注目で埋めようとする構造。
- 娘を「愛している」と言いながら、その“愛”は常に支配・コントロールの文脈で展開される。
- 他者の感情に無関心で、自らの欲望を他人に投影・強要するという点で、**自己愛性パーソナリティ障害(NPD)**的な側面も強い。
2. 娘・照恵の精神病理:複雑性PTSDと愛着障害
- 母からの継続的虐待・否定・分離体験は、愛着の不全形成を引き起こす。
- 心的外傷後における自己無価値感、回避、過剰な順応など、複雑性PTSDの症状が顕著。
- 自らも娘を育てる中で、「親としての不安」や「愛し方の分からなさ」に直面し、世代間連鎖の苦しみを体現している。
🔄 世代間連鎖の構造モデル
textコピーする編集する祖母 → 累子 → 照恵 → 娘
↓ ↓ ↓
「愛されない」→「愛し方が分からない」→「不安・逃避」
- それぞれの世代において、「愛」という言葉が暴力・恐怖・依存と混同されている。
- 誰もが「自分なりに愛そう」としているが、その方法が歪んで伝播してしまう。
💡 臨床的に注目すべきポイント
- トラウマの想起ではなく、構造化された“語り直し”の重要性
- ナラティヴ・セラピーのような「自己物語の再編」によって、自身の過去を意味づけし直す力が描かれている。
- 加害と被害の二重性
- 母に虐げられた照恵もまた、無意識に「加害者の再演」をしてしまいかけるという、被害者性と加害性の錯綜が主題。
- “許す”とは何か
- 照恵の旅の終着点は、“母を許す”という単純なカタルシスではなく、「母の姿を見つめ、自らの子を守る」という自分の人生を取り戻す作業。
🧩 総括:『愛を乞うひと』の病跡学的意義
この作品は、日本社会に根深く残る「母性信仰」や「家庭神話」の幻想を暴くと同時に、個人の回復力(レジリエンス)と語りによる癒しの力を静かに提示しています。
精神医学・心理学的には、以下の領域を横断しています:
- トラウマ心理学
- 愛着理論(ボウルビィ)
- パーソナリティ障害の家族背景
- ナラティヴ・セラピーと再物語化
- 世代間伝達とその断絶の試み
