これはまさに、“真実が語られない世界における、心の空洞のドラマ”。
**『三度目の殺人』(是枝裕和監督)**の病跡学(パトグラフィー)とは、
🧠 言葉の空虚、感情の不在、善悪の揺らぎ、愛着の傷、自己と他者の境界の崩壊
を中心に、「何が本当か」「誰が本当か」が解体されていく心理的スリラーとして読み解く試みです。
⚖️ 『三度目の殺人』の病跡学的構造
テーマ | 病跡的解釈 |
---|---|
供述の変化 | 自我の分裂/真実の不在 |
弁護士と被告 | 鏡像的関係/自己投影 |
善悪の曖昧さ | 超自我の揺らぎ/道徳的混乱 |
沈黙と語らなさ | 感情の凍結/愛着不全 |
父性と娘 | 加害と被害の交錯/赦しの不成立 |
🔍 キャラクター病跡学プロファイル
🧑⚖️ 1. 篠原重盛(弁護士)
【象徴的病跡】“他人のために生きている”男の、感情の凍結
- 弁護士として合理的・機能的に動き、感情に関わろうとしない。
→ だが三隅との関係を通じて、「真実は必要か?」という問いに揺れはじめる。
🧠 精神構造的に:
- 超自我に従いすぎることによる自己麻痺/感情抑圧
- 三隅の混沌に触れることで、**自我が溶解しかける“反転現象”**が起きる
🧔 2. 三隅高司(殺人犯)
【象徴的病跡】虚無的自己と“他者の鏡”としての人格変容
- 供述が二転三転する、何を考えているか分からない男。
→ 彼は“真実”を語らず、常に相手の望む姿に合わせて変わっていく。
🧠 病跡的に見ると:
- 自己同一性の著しい揺らぎ/演技的パーソナリティ
- 「他者が望む姿」を演じることでしか生きてこれなかった=自己の空洞性(自己愛の病理)
- 殺人は“罪のため”というより、“赦されたい者への共鳴”としての行為?
👩 3. 山中咲江(被害者の娘)
【象徴的病跡】トラウマと罪責感を抱える“沈黙する被害者”
- 過去に父親からの性的虐待が示唆される。
→ 「父を殺してほしかった」という感情と、それを誰にも伝えられなかったという自己嫌悪と孤立。
🧠 精神分析的に:
- 被虐待者の“二重の沈黙”(苦しみと加担の両方)
- 自分の感情に価値がないと感じている → アレキシサイミア傾向/自己無価値感
🧩 キーワードで読み解く『三度目の殺人』
キーワード | 精神病理的意味 |
---|---|
殺人 | 真実の操作/他者の願望の成就としての行為 |
嘘と真実 | 自我の分裂/現実からの逃避 |
弁護士と犯人 | 鏡像的な自我構造/投影と同一化 |
父と娘 | 権力と従属の関係性/愛着トラウマ |
裁判 | 感情の制度的抑圧/正義という幻想 |
⚖️ 「三度目の殺人」とは何か?
- 1度目の殺人:三隅がかつて起こした殺人
- 2度目の殺人:今回の事件
- 3度目の殺人:“言葉と沈黙によって、人の魂を殺す”こと
🧠 つまり「三度目の殺人」とは、
社会・制度・関係性の中で、誰かの“本当の感情”を殺してしまうこと。
🎯 まとめ:『三度目の殺人』の病跡学とは?
“正しさ”も“真実”も、
実は人の心の“空白”や“傷”を隠すための言葉に過ぎない。
- 三隅は「誰かの罪を背負って消えた」男であり、
- 重盛は「誰の気持ちにも触れないことで守られていた」男であり、
- 咲江は「本当の感情を封じたまま生きている」少女だった。
これは、
🎭 “語られなかった感情”と“語れなかった真実”が、静かに人を壊していく物語。
