映画『パラサイト 半地下の家族』(2019年、ポン・ジュノ監督)は、韓国社会の貧富格差と階級構造をブラックコメディ/サスペンスの形で描いた作品ですが、**病跡学(パトグラフィー)**の視点から読み解くと、「家族」「貧困」「社会的劣等感」「隠蔽された怒り」などの精神病理的テーマが重層的に展開されていることがわかります。
◾️キム家(半地下の家族)の病跡学的プロファイル
家族メンバー | 表層的特徴 | 病跡学的観点 | 精神病理的解釈 |
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ギテク(父) | 受け身/気弱/流されやすい | 「敗者の内面化」 | 学習性無力感/慢性的自尊心の欠如 |
チュンスク(母) | 現実主義者/物言いが鋭い | 「女性としての怒りの転化」 | 不全感の代償的支配性/潜在的攻撃性 |
ギウ(兄) | 要領がいい/機転が利く | 「上昇幻想と虚構の自己」 | アイデンティティの不安定さ/詐欺性防衛 |
ギジョン(妹) | 頭脳明晰/感情の起伏少なめ | 「冷静な観察者」 | 愛着の希薄さ/回避的自己防衛 |
◾️主な病跡学的テーマ
①【空間構造=精神構造】
- 半地下/地上/地下室の3層構造は、そのまま階級的メタファー+精神構造のメタファーになっています:
層 | 社会的意味 | 精神病理的象徴 |
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地上(パク家) | 表面化された成功・清潔・権力 | 社会的超自我(支配する者) |
半地下(キム家) | 境界的貧困・光と闇の間 | 防衛された自我(サバイバル本能) |
地下室(元家政夫夫婦) | 隠された被抑圧者・監禁 | 無意識の領域・トラウマの墓場 |
→ 精神分析的には、「地下に抑圧された怒り」が暴発する構造。
②【擬態と寄生の精神構造】
- キム家は「家庭教師」「美術療法士」「運転手」「家政婦」として擬態的にパク家に寄生します。
- この“寄生”は、貧困者が中産階級的ふるまいを内面化しようとする無意識の模倣衝動であり、それが限界に達したときに**「暴力」という解離的反転**が起きます。
③【笑いの裏にある「抑圧と怒り」】
- 『パラサイト』には多くのブラックな笑いがありますが、それは貧困者が内在する怒りや無力感を“笑い”で昇華する文化的防衛機制とも読めます。
- 特にギテクの「臭い」に対する怒りの爆発は、“自分が見下されている”という抑圧された被虐感情の逆転であり、抑圧されたイドの暴走と見ることもできます。
◾️象徴的な病跡学的シーン
シーン | 病跡学的意味 |
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ギテクが「臭い」に反応する場面 | 階級的アイデンティティが嗅覚レベルで内面化されている証拠=身体化された劣等感 |
地下室の発見 | 見ないようにしてきた「社会の最底辺」=集合的トラウマの顕現 |
豪雨による家の浸水 | 階級的暴力が可視化される瞬間=環境的トラウマの再体験 |
最後の暴力(誕生日会) | 自我が崩壊し、イド(本能)によって行動が支配される=衝動の噴出 |
◾️病跡学的に見た『パラサイト』の構造図
コピーする編集する 【地上階(超自我)】…清潔、余裕、無意識の特権
↑ ↓
【半地下(自我)】…擬態、努力、分裂的適応
↑ ↓
【地下室(イド)】…怒り、恐怖、本能、忘却
→ この三層構造は、**フロイト的構造論(超自我・自我・イド)**に完全に重なります。
◾️まとめ:病跡学的視点から見た『パラサイト』
テーマ | 内容 |
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貧困の精神構造 | 擬態・抑圧・怒りの内在化 |
社会的病理と個人の病理の交差 | 階級格差が自己像を歪め、家族システムにも歪みをもたらす |
暴力の噴出=抑圧の崩壊 | 精神の地下室(イド)が現実に噴出する瞬間がクライマックス |
