映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(Everything Everywhere All At Once)』(2022年/ダニエルズ監督)は、マルチバース×家族ドラマ×カオスコメディの形式で、移民家庭の母エヴリンが自らのアイデンティティと人生の意味を探求する物語です。
この作品を**病跡学(パトグラフィー)の観点から捉えると、精神的分裂、解離、世代間トラウマ、アイデンティティ崩壊と再統合といったテーマが浮かび上がり、「内的宇宙の精神病理」**として解釈することができます。
◾️主な登場人物と精神病理的構造
登場人物 | 病跡学的観点 | 精神医学的解釈の可能性 |
---|---|---|
エヴリン(母) | 現実逃避と過剰適応の連続。マルチバースは「もしも○○だったら…」という抑圧された自己の投影。 | 解離性障害的傾向/アイデンティティの拡散 |
ジョブ・トゥパキ(娘=ジョイの別宇宙体) | 無限の選択肢を知った果てに生まれた虚無主義と存在の不安 | 境界性パーソナリティ障害的特徴/実存的うつ |
ウェイモンド(夫) | 現実を受け入れる柔軟性と“優しさ”という自己防衛機制としての成熟 | 安定した愛着形成と共感能力(回復力=レジリエンス) |
◾️病跡学的キーワードで見る『エブエブ』
キーワード | 描かれ方 | 解釈 |
---|---|---|
マルチバース | パラレルワールドを巡る旅 | 「選ばなかった人生」への執着と後悔(自己同一性の分裂) |
バグル(ベーグル) | 無限の知識が虚無へと変わる象徴 | 存在不安、うつ病性空虚、意味の消失 |
親子葛藤 | 母エヴリンと娘ジョイの対立と和解 | 世代間トラウマ/投影同一化/相互依存と分離 |
言語の断絶 | 中国語/英語/感情の不一致 | 多文化間におけるアイデンティティ混乱と孤立 |
◾️精神医学的・構造分析的視点
① 解離と統合の物語
- マルチバースは**解離性アイデンティティ障害(DID)**のように、それぞれの“人格的自己”が宇宙ごとに存在する状態。
- 終盤、エヴリンがこれらを統合し、「今・ここ」に根を下ろすプロセスは、トラウマ治療における統合的回復モデルを彷彿とさせる。
② マルチバース=内的葛藤の投影
- 各宇宙での自分(例:武術家/オカルトマスター/岩)などは、可能性として封印された自己表現であり、抑圧されてきた感情や欲望の回帰とも言える。
③ “すべて”から“ひとつ”へ:虚無からの回復
- 「すべてがある(Everything)」から、「何もない(Nothing)」へと極端に振れた心理が、最後には「この瞬間を愛する」というマインドフルな統合へと着地する構造は、うつ病性空虚へのセラピー的応答とも読み取れる。
◾️病跡学的に見た本作の位置づけ
項目 | 内容 |
---|---|
創造性の源泉 | 精神的混乱やアイデンティティの解体が、斬新な物語構造として昇華された |
映画という表現形態 | 分裂的な内面世界(≒マルチバース)を外的映像で可視化した点で、精神病理の映像的メタファーとして非常にユニーク |
病跡学的類似作品 | 『ファイト・クラブ』、『パーフェクト・ブルー』、『ブラック・スワン』など自己解体と再構築のモチーフ |
◾️まとめ
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、表層的には奇想天外なSFコメディですが、その核心には、
「人は、無限の選択肢を抱えながら、唯一の『今・ここ』に根ざすことで救われる」
という実存的・精神療法的メッセージが込められています。
