「近親憎悪」とは、親族や同僚・友人など、近い関係の人を憎むこと。類義語に「同族嫌悪」があります。言葉の通り親族内にて忌み嫌う心理です。近く親しい関係である人々が憎しみ嫌うのはどうしてでしょう。
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「骨肉の争い」という遺産相続を巡り、仲良く一緒に育った兄弟・姉妹が争うことが世の中ではよくあります。視点を広げると、隣接した区市町村・都道府県、さらには国家間でも争いがしばしば生じます。土地や領土などの実利を巡る争いもあれば、似た者同士がお互いあら探ししている場合もあります。
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後者について、心理学の概念を援用すると「投影」または「投影性同一視」が相当します。自分の欠点や劣等感を、近しい相手に見出し、これを憎み嫌うことです。「投影性同一視」でも説明したように「屈折」した病的・心理です。本来は自分の問題とし、他者へ投影すべきではないのですが、生育上「Trauma 心的外傷」を繰り返し受け、複雑性PTSDや境界性Personaltyに陥った方は、自分をありのままに受け容れ難く、自分の欠点や劣等感を他者へ見い出し、憎み嫌うのです。
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国家の問題に例えると、日本と中国・韓国・朝鮮などは、欧米諸国から近しい関係と見えるでしょう。しかし連日、マスコミ報道されるよう、領土問題をはじめとした政治・経済、そして文化に至るまで対立や衝突していることは、.残念でなりません。その原因は、歴史を振り返ると、お互いに侵略されたという、国家レベルの「被害感情」によるのでしょう。
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個人・集団・国家において、友好・平和な関係を築くにはどうすべきでしょう。それには上記の通り、自分なり自国なりの問題をありのままに受け容れ、他者や他国に投影しないことです。相手を責める前に自分を省みること、それが「人格者」と言われる人の特徴です。
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もし相手から責められた際は、穏やかに「遺憾の意」を表することです。損害賠償を要する場合、当事者同士で示談することはなかなか難しいです。その際「第三者の仲裁」を仰ぎます。個人では裁判所があり、国家では国連があります。
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日本は「法治国家」で、裁判所が機能しておりますが、世界へ目を転ずると国連の仲裁や介入も受け容れない国々のあることは残念です。それは仕方のない国際問題として政治家の方々へ任せるとして、個人は、自分の言行を繰り返し振り返ることを、肝に銘じてまいりましょう。
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