過食(overeating)とは、「空腹ではないにもかかわらず、多量の食事を摂取してしまう行動パターン」を指し、結果的に身体的・心理的な健康リスクが生じやすくなります。過食の背景には、ストレスや情動調整、習慣化された報酬パターンなど、心理面だけでなく生物学的・社会的要因が複合的に絡み合っています。ここでは、過食を引き起こす脳のメカニズムについて、主に脳科学の視点から概説します。
1. 過食にかかわる主な脳領域
1-1. 報酬系(ドーパミン経路)
- 腹側被蓋野(VTA)—側坐核—前頭前皮質からなるドーパミン経路は、快感や報酬感を制御する中核的システムです。
- 甘いものや脂肪分の高い食品など、強い味覚刺激をもつ食べ物を摂取すると、この報酬系が活性化されてドーパミンが放出され、「もっと食べたい」という欲求を生み出しやすくなります。
- 繰り返し高カロリーの食品を摂取するうちに、同じ刺激では満足感が得にくくなり、より多く食べる方向へ学習が進む(報酬閾値の上昇)可能性があります。
1-2. 視床下部(Hypothalamus)
- 視床下部は、食欲・体温・睡眠など生存にかかわる基本的な生理機能を制御する部位です。
- レプチン(満腹ホルモン)やグレリン(空腹ホルモン)など、食欲にかかわるホルモンのシグナルを受け取って、食行動を調整します。
- 過食が続くと、脳の視床下部とホルモンシグナルのやりとりに抵抗性や異常が生じ、本来なら満腹感が生じるはずの状況でも食べ続けてしまうパターンが固定化される可能性があります。
1-3. 前頭前皮質(Prefrontal Cortex)
- 前頭前皮質は意思決定や衝動抑制などを担う領域です。
- 食事においても、「もう食べなくてもいいのでは」という理性的判断や抑制機能を司っています。
- ストレスや慢性化した強い欲求の影響により、前頭前皮質のコントロールが低下すると、「目先の快楽」に流されやすくなり、過食を抑えにくくなります。
1-4. 扁桃体(Amygdala)と情動調整
- 扁桃体は、恐怖や不安、怒りなどの情動を処理する上で重要な役割を果たす領域です。
- ストレスや不安が高まると、食事を通じて気分を一時的に紛らわせる(情動調整としての過食)が起こりやすくなります。
- いわゆる「ストレス食い」は、扁桃体の情動反応を抑えるために報酬系を刺激する行動とも言え、そのサイクルが繰り返されると習慣化しやすくなります。
2. 神経伝達物質やホルモンの関与
2-1. ドーパミン
- 報酬やモチベーションに深くかかわる神経伝達物質で、高糖質・高脂質の食品がもたらす快感を強化します。
- 繰り返し大量の食事をとることで、ドーパミン受容体が鈍化し、より強い刺激(多量の食物)を求める悪循環に陥る可能性があります。
- これは薬物依存やギャンブル依存と似たメカニズムとして注目されています。
2-2. セロトニン
- セロトニンは気分の安定や衝動制御に大きく関与する神経伝達物質です。
- セロトニン機能が低下すると、衝動的な食行動や抑うつ、不安が高まり、食べることで一時的に快感や安心感を得ようとする行動が強化されやすくなります。
2-3. レプチン・グレリン
- レプチン(満腹ホルモン):脂肪細胞から分泌され、脳に「もう十分にエネルギーがある」という信号を送る。
- グレリン(空腹ホルモン):胃から分泌され、食欲を促進する作用をもつ。
- 過食や肥満状態が続くと、血中のレプチン濃度が高くなっても脳が正しく反応しない(レプチン抵抗性)場合があり、満腹感がうまく働かなくなる現象が確認されています。
3. 過食に至る心理的・情動的プロセス
3-1. ストレス・感情の紛らわせ
- ストレスや不快な感情を抱えたとき、食事をすることで一時的に快感や安心感を得るパターンが学習されると、慢性的な過食へとつながります。
- この状態では、扁桃体で高まった不安を鎮めるために、報酬系の働きに頼りがちになり、食行動が過剰に強化されます。
3-2. 認知の歪み・思考パターン
- 「食べることでしかストレスを解消できない」「食べ物が唯一の楽しみ」というような認知の歪みが存在する場合、より過食に陥りやすくなります。
- 脳科学の観点では、前頭前皮質の情報処理(論理的思考・問題解決)がうまく機能せず、過食=簡易な解決策として選択し続けるリスクが高まります。
3-3. 習慣化と神経回路の固定
- 同じ行動を繰り返すことで、脳内に「パターン化された回路」が形成されます。
- ストレス → 食べる → 一時的安心 → さらに自己嫌悪 → でもまた食べる…といった悪循環が作られ、それが習慣回路として安定化すると、自発的に抜け出すのが困難になります。
4. 過食をコントロールするためのアプローチ
4-1. 認知行動療法(CBT)
- 自分の思考パターンや感情の動き、行動のトリガーを客観的に把握し、過食のサイクルを断ち切る手法。
- 脳科学的には、前頭前皮質(意思決定・衝動抑制)と扁桃体(情動)の連携を再構築し、不安やストレスを過食以外の方法で対処することを学ぶ効果が期待されます。
4-2. マインドフルネス・瞑想
- 「食べたい」という衝動や、食後の満腹感などに注意を向け、観察する習慣を身につけることで、自動的・衝動的な過食を抑制しやすくします。
- 脳画像研究では、マインドフルネスを続けることで前頭前皮質や島皮質の活動が変化し、欲求に流されにくくなる可能性が示されています。
4-3. 薬物療法
- 摂食障害の症状(過食や過食後の嘔吐など)が強い場合、抗うつ薬(SSRI)の使用や他の薬物療法が検討されることもあります。
- セロトニン機能を改善することで気分の安定や衝動制御の向上が期待できますが、薬物のみでの根本的解決は難しく、心理療法や生活改善との併用が重要です。
4-4. 栄養教育・行動療法
- 自分の食習慣や栄養バランスを見直し、適切な食事計画を組むことで、ホルモンバランスや血糖値の急変動を抑えることができます。
- 食事の記録や行動計画を継続して行うことで、脳が「ルーティンの変化」を受け入れ、徐々に過食以外の方法でストレスを処理しやすくなります。
5. まとめ
- 過食は“脳が引き起こす過剰な報酬追求”や“ストレス・情動調整の代替手段”としてとらえられ、報酬系(ドーパミン経路)の活性や視床下部の食欲コントロール機能、前頭前皮質の抑制機能などが複雑に関連しています。
- ストレス、不安、情動の問題が絡むと、扁桃体の過活動やホルモンシグナルの乱れが過食を助長し、習慣化の悪循環に陥りがちです。
- 認知行動療法やマインドフルネスなどの心理療法、適切な栄養教育と行動療法、場合によっては薬物療法を併用することで、脳内の回路(前頭前皮質—扁桃体—報酬系)を再調整し、過食行動からの回復をサポートできる可能性が高まります。
過食は単に“意思の弱さ”の問題ではなく、脳の神経回路やホルモンバランスが密接に関係した生物・心理・社会的な現象です。理解を深め、適切なサポートと治療を受けながら取り組むことで、過食の悪循環から抜け出す道が開けると言えるでしょう。