窃盗症(クレプトマニア, Kleptomania)は、衝動制御障害(ICD-11, DSM-5における分類)に属する精神疾患の一つであり、強い衝動に抗えず、必要のないものを盗んでしまう行動が繰り返される病的な状態を指します。単なる「盗み癖」や経済的な動機による窃盗とは異なり、盗むこと自体が目的化している点が特徴です。
1. 窃盗症の診断基準(DSM-5)
診断基準
DSM-5(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版)では、以下のような特徴が定義されています。
- 盗みたいという衝動を繰り返し抑えられない
- 経済的利益や復讐心、怒り、妄想などに基づくものではない。
- 盗む前に緊張が高まる
- 盗む直前に、強い緊張感や興奮が生じる。
- 盗むことで快感や満足感を得る
- 盗んだ後、一時的な安心感・スリル・快楽を感じる。
- 盗み自体が目的であり、他の理由(お金、怒り、社会的抗議)によるものではない
- 盗んだ品物は実際には必要としないことが多い。
- 盗みの行為が罪悪感や抑うつ感を伴う
- 窃盗の後に自己嫌悪や後悔を感じるが、それでも衝動を抑えられない。
- 他の精神疾患(躁病・統合失調症・認知症など)や薬物の影響ではない
- 他の病気による症状として説明されるものではない。
2. 窃盗症の脳科学的メカニズム
窃盗症の行動パターンは、衝動制御障害や強迫的行動と関連しており、前頭葉・線条体・辺縁系を中心とする脳内ネットワークの機能異常が関係していると考えられています。
1) 前頭前野(PFC)と衝動抑制
- 前頭前野(Prefrontal Cortex)は行動抑制や意思決定に関わるが、窃盗症の患者ではこの機能が低下している可能性が示唆されている。
- 盗みたいという衝動に対して、「盗むべきではない」という抑制力が弱まることで、行動が制御できなくなる。
2) 側坐核(Nucleus Accumbens)と報酬系
- 窃盗行為によって快感・満足感が得られるという点で、ドーパミン報酬系(中脳辺縁系)の異常が関連すると考えられる。
- 盗みが「報酬」として学習され、快楽を求めて行動が繰り返される。
3) セロトニン系と衝動制御
- **セロトニン(5-HT)**は衝動制御や気分の安定に関与するが、窃盗症ではセロトニン機能が低下している可能性がある。
- **SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)**が一部の窃盗症患者に有効であるという報告がある。
4) オピオイド系と強迫的行動
- 脳内オピオイドシステム(エンドルフィンやエンケファリンなど)は、報酬とストレス緩和に関与する。
- **ナルフキソン(オピオイド受容体拮抗薬)**が治療に用いられることがあり、これは「窃盗による快感」を抑制する効果を狙ったものである。
3. 窃盗症の精神病理
1) 衝動制御障害の一種
- 窃盗症は、ギャンブル障害・間欠性爆発障害・ピロマニア(放火症)などと共に、衝動制御の問題として捉えられる。
2) 強迫性障害(OCD)との関連
- 盗む行為が「強迫観念」に近い場合もあり、強迫性障害との関連性が指摘されている。
3) 気分障害・不安障害との合併
- 窃盗症患者の多くは、うつ病や不安障害を併発していることが多い。
- 盗みが「ストレス解消」や「自己処罰」の一種として機能している可能性がある。
4. 窃盗症の治療
1) 薬物療法
- SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)
→ 衝動制御の向上や強迫的思考の緩和に役立つ可能性がある。 - ナルフキソン(オピオイド受容体拮抗薬)
→ 窃盗行動の「快感」を減弱させることで、依存的行動を抑える。 - 気分安定薬(リチウム、バルプロ酸など)
→ 気分変動の調整や衝動制御に寄与する可能性がある。
2) 認知行動療法(CBT)
- 行動修正: 「盗む」という行動のトリガーを特定し、回避する方法を学習する。
- 衝動コントロール訓練: 衝動に対する認識を高め、衝動を別の方法で処理するスキルを身につける。
- 認知再構成: 「盗むことでしかストレスが解消されない」という思考の修正を図る。
3) ストレスマネジメント
- 瞑想・マインドフルネス・運動・カウンセリングを通じて、ストレスを健全な方法で処理する。
4) グループ療法・自助グループ
- 窃盗症患者向けの12ステッププログラム(ギャンブル依存症などと類似の自助グループ)が一部の国で実施されている。
5. 窃盗症と犯罪行為の違い
項目 | 窃盗症 | 一般的な窃盗・盗癖 |
---|---|---|
目的 | 盗むこと自体が目的 | 経済的利益や復讐など |
計画性 | ほぼなし(衝動的) | 計画的な場合が多い |
罪悪感 | あり | なしまたは低い |
繰り返し | 強迫的・習慣的 | 必ずしも繰り返されない |
併存疾患 | うつ、不安、強迫 | なしの場合も多い |
6. まとめ
窃盗症の特徴
- 盗むことが目的化し、経済的動機とは無関係。
- 盗む前に強い衝動が生じ、盗んだ後に快感やスリルを感じる。
- その後、自己嫌悪や後悔が生じるが、衝動を抑えられない。
- 前頭前野・報酬系・セロトニン系の機能異常が関与している可能性。
治療のポイント
- 薬物療法(SSRI、ナルフキソン)
- 認知行動療法(CBT)
- ストレスマネジメント
- グループ療法
窃盗症は単なる「盗み癖」とは異なり、精神医学的な治療の対象となる疾患であり、適切な治療とサポートが重要です。