窃視症(15.2/ICD-11)
悟(さとる)28歳は某区役所の職員、いわゆる地方公務員である。仕事はそつなくこなし、上司の評価も良い。それほど上昇志向あるわけでもないため、性格も温厚で、同僚や後輩からも慕われている。大学時代から交際している彼女と週末同棲しており、彼女は早く結婚したいという想いを、それとなく伝えている。悟もそれは感じているが、どうしても踏み切れない「何か」があった。彼には他人には言えない「秘密」があった。
悟の第一志望は東京都の職員だった。現在と同じ地方公務員であるが、東北出身の彼にとって「東京都」はずっと憧れの土地だった。高校まで東北で暮らし、大学は迷いなく都内の某私立大学へ入学した。東京は憧れていた通り、素晴らしいところだった。電車は3-5分おきに走り、夜間は24時過ぎてもネオンが輝いている。悟は大学のサークルでコンパの幹事を買って出ては、新宿や渋谷の店を1次会から3次会までしっかり押さえていた。
だから、東京都庁の高層ビルに勤務することは夢の最終地点だった。地元では想像もつかない、あのツインタワーのどちらかで、東京の街並みを眼下にしながら、毎日過ごすことが夢のまた夢だった。しかし、現実は無情だった。採用試験の最終選考まで残ったものの、結果は不合格だった。学歴も人柄も問題なかったけれど、「志望動機」が曖昧だったのだろう。本来は東京都をより良くしたいという情熱を語るべきだったところ、彼はそれを語ることできず、月並みな回答に終始した。そのため、強気なライバルに負けたのだろう。
悟は第二志望としていた、某区役所にすんなりと合格した。周りから見れば、特別区である23区の区役所の公務員になれることは安定した将来が約束されたものであるが、彼のこころは空虚だった。東京・都庁への未練がぬぐえなかった。同級生の彼女は某・有名アパレルメーカーへ就職し、ともに東京都内で勤務した。彼女は幸せだった。
悟の行動に変調を生じたのは、就職2年目だった。勤務する区役所へ直行することなく、遠回りして新宿駅を経由するようになった。そして、途中下車、南口のエスカレーターに乗り、スマホを取り出した。メールを確認、ネットを閲覧する振りをしながら、スカートをはいている若いキレイな女性を探した。お目当ての女性が見つかると、さりげなく近づき、スマホをスカートの下に差し出し、撮影ボタンを押した。仕事が終わり、帰宅すると、写真を確認し、確実に撮影できたことに満足を覚えながら、自慰行為・マスターベーションを行った。
このような行為を3ヶ月間、10回程したところで、悟は捕まった。突然、私服の鉄道警察官に呼び止められ、取り押さえられた。現行犯逮捕だった。そのまま、新宿警察署へ連行された。何も言えず何もできなかった。その時は何が起きたのか理解できなかった。事情聴取・厳重注意を受けて帰宅した。
職場には伝わらず、翌日から何事もなかったかのように勤務できた。それから1ヶ月、悟の姿は再び新宿駅・南口にあった。もう二度とするまいと思ったにもかかわらず、思いと行動は嚙み合わなかった。1ヶ月前と同様にスマホを左手に、右手で操作する振りをして、エスカレーターを上った。その時は撮影に成功し、無事帰宅した。その2日後、新宿駅・南口のエスカレーターでスマホを取り出し、スカートの下に差し出したところで、悟は二人の私服警察官に取り押さえられた。
悟は警察署・留置場に入れられた。その日は出勤できず、事情は職場・上司に伝わった。事情聴取され、翌朝、釈放されたが、ショックのあまり欠勤した。事件から3日目の朝、出勤して上司へ謝罪した。上司から、どうしてそのようなことをしたのか尋ねられたが、答えられなかった。自分でも分からなかった。ただ、頭と体が別々に動き、体が新宿駅・南口へ向かっていたとしか言えなかった。
悟の犯行は、その後も複数回におよび、職場は懲戒解雇となった。彼女と別離し、都内のアパートに引きこもった。実家の両親へ伝わったが、恥ずかしくて実家へ戻ることもできなかった。数か月間、引きこもった。スマホをいじっていたある日、「窃視症」という文字が飛び込んだ。むさぼるように説明文を読んだ。「これだったのか」そう思うと、専門のクリニックへ予約の電話を入れた。
窃視症(15.2/ICD-11)
窃視症 Scopophilia とは、 裸の人や性行為中の人々を空想・観察することを繰り返す。たいてい、のぞいた後に自慰行為にふける。男性に多い。